思索の記録 2010.2.6

起床してから、ヴェーベルンについて調べる。その後仕事。日に日に短期記憶が悪くなっているのではないかと思えてきた、好きなこと以外に目がいかないことを逆手にとって、何かできないだろうか。それも誰かに甘える前に。いくつか案が思い浮かぶ。さて、それをいつ決行するか。今の職場は、おそらくお互いに心身の限界がきかねない。お互い苦痛を与えることはもうやめにしたい。問題は、同じ接客に関するものと言うことだ。同じ課題にぶつかる可能性は十分にある。それでも耐える勇気を持てるか。好奇心を逆手にとって、向上し、更に先へ行けるか。それについては、徹底した相談と祈りから導き出す以外にあるまい。
ゲーテとの対話」以降、何を読もうか悩んでいた。ここで脱線を覚悟で、深遠な音楽について触れられる本を読むことにした。フルトヴェングラー著「音楽ノート」、「音と言葉」。そして、吉田秀和著「吉田秀和作曲家論集」を数冊。金銭面の関係から、 「音と言葉」の抜粋した文庫に始まり、「音楽ノート」、「音と言葉」の単行本、「吉田秀和作曲家論集」は、立ち読みして買う価値かどうか判断してから買う予定。アナリーゼのスキルを身につけ*1、「ヴェーベルン西洋音楽史のプリズム」も買うことにしようか。研鑽と興味を持った本の乱読をしきり、より教養をつけるときなのだ。インドでは教育の時期は25歳までと言う。ゲーテも青少年期に、その当時のほぼありとあらうる職を体験したという*2。ならば、仕事と勉学、勿論一生続けていく者ではあるが、これからの1年10ヶ月より意識してしていこう。


究極の宗教哲学に通ずる深遠な文学・芸術に今、私は飢えている。だからこそ触れていきたいのだ。偏った好奇心、融通の効かないぶり、作業の遅さ、ミスの繰り返しで今まで(特にこの半年)どれだけ周りを苦痛に追いやったであろうか。それでもかろうじていられたのは、ある意味粘り強いからであろう。実際に、3人ほど、よくこの時間しているねといわれたことがある。そして誰にも衝突したくない、迷惑かけたくない思いから醸成された生真面目さや、ある種お人好しの影響もあるのだろうなと思いつつ。あとは、それを、1番良い形で発揮させることが、大事なのだと、常々思っている。断固、勝ち進め!!



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スカウター : 信心の王者たれ!

*1:理想は前衛作曲家兼指揮者のブーレーズ、そして正反対のフルトヴェングラー

*2:当時のドイツの上流市民ではゲーテのような教育はよくあったようだ