沖浦克治氏にまつわる一連の騒動について4

対論の基本姿勢について-誓いの城

上記のページの文証を無視し、現証だけを語るのは天魔外道であると、文証・理証の無い現証は「魔王」からのもてなしである点がポイントです(今日の事を書く上でインスパイアを受けた点です)。


私が昨日書きました、三証-信心の王者たれ!を見ながら読んで下さい。


沖浦克治氏が今まで繰り広げてきた、話を前後して全く正反対の矛盾した事を述べている時は、理証の視点が欠けていると見る事ができます。


そして先日書いた、沖浦氏の見解が学会教学と乖離している点は、論拠がないという事で文証の視点が欠けていると見ることが、できます。


私が、最近この一連の騒動で感じた事として、現実で結果を残し、また発言・行動に矛盾がなく、対話の場で、また人にレクチャーする時は、論拠をきちんと提示して人に伝える・話す人材が今求められているのではないでしょうか?文証・理証・現証を兼ね備えた人材が求められているのではないでしょうか、という事です。


私の大好きなコミック 「ダイの大冒険」第26巻にこのような言葉がありました。

「力なき正義」も無力であります。それと同じように「正義なき力」もまた無力であります、と。


真に正しい宗教・思想・哲学は、文証・理証・現証がそれぞれ揃っていなくてはなりませんという事を、昨日書きました。

これは、人にも同じ事が言えるのではないでしょうか?


現証だけがという人であれば、その人の実践が真に正しいかどうかは証明ができません。
もしその人が、歪曲して法を弘めたり、矛盾した道理の伴わない発言をされていたのでしたら。

具体的には、
沖浦板をウォッチするスレ - 創価仏法研鑚掲示板392より、

三大秘法について考えませんか
763 名前:沖浦克治 ◆V.rL30nGVA 投稿日: 2008/10/12(日) 18:54:49 id:AJ3hr85o0
(中略)
戸田先生が寛師の時代に帰れと言われた。
そうですね。
でも、法主に信伏随従せよ。とも仰せです。
取捨選択がいりますね。

戸田先生を慕う方がこのような、矛盾される発言をするのでしょうか?


現証がでていたとしても、文証・理証の伴わない、また、こうした先生との原点を持っていないからこそいえる言葉を言う人間にはなりたくないと思いました。


また、逆に英知を磨き、論理的に物事を考え、論拠を積み上げて対話ができる方であったとしても、結果が何も無いのであればその実践は何の意味もありませんね。
こちらは、私がむしろ陥りやすい事でございます。


要はすべてはバランスなのだと思います。他の2つは文句なしに良くても、最後の1つが極度に落ちているのなら結局のところ、その人の信心は誤りに陥っているのだと思います。しかし、それは早いうちに気づいて治していけばいいのだと私は、思うのです。


今回、この一連の騒動を通して学んだ事の一つは、先生の指導から外れた事を発言する方の言動・行動の矛盾・原点の無さ、そして大人は結果でしかものを見ないという事です。


三証備えた人間に必ず成ります!!そして、絶対に誰からもなめられない人間に成ります!!


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