調性音楽と無調音楽の統合

おそらく、これは、20世紀西洋芸術音楽の一つのテーマではないだろうか。
新ヴィーン楽派のアルバン・ベルクはもちろんそうだ。ダルラピッコラもそうだろう。
シュレーカー、コルンゴルト、ツェムリンスキーら、それぞれ最晩年の無調に限りなく近接した作品もそういったとらえ方で、みることができると思う。
スターリンからの制裁を受ける直前、そして晩年のショスタコーヴィチもそうだろう。

三枝成彰は、調性音楽と無調音楽を統合した作曲家として佐村河内守の名前を挙げている。
実際に、そう言われれば納得するような響きは、聴こえてくる(特に第3楽章のカタストロフ)。バイオハザード1作目のオーケストラ作品のオーケストラアレンジも手掛けているので、無調音楽を書けることに納得しながら、ここまで言い切るのに、違和感を感じていた。というよりも実感できる根拠を見つけたかったのだろうと思う。

たまたま、デュティユーのオーケストラ作品集が図書館で借りられたので交響曲第1番のフィナーレを聴いた。
冒頭の和音、佐村河内守 交響曲第1番 "HiROSHiMA"の第3楽章の冒頭と和音が同じだった。多分、偶然。
なので、この調性音楽と無調音楽を統合した最高峰の作曲家の一人に挙げられることを、今更ながらに納得した。

さて、彼が唯一、ポップスではの中では例外としていた、ドアーズも聴いた。
デビュー・アルバムから。
メロディーが異様に残る。トリップしていく感覚が心地良い。
ソロのロック歌手と活動するに当たり、影響を受けたのだろうか。

私が、次に検証したいと思っていることは、ユーゲント・シュティールの作曲家との対比である。
これには、今買おうと考えているCDをすべて手に入れて、徹底的に聴き込まないと検証ができないので、いつ書けるだろうか。