佐村河内守 鎮魂のソナタ聴き始める

WEB界隈を見ていると、一つ山を越えた。私は、これから、派生して起きたことに、向き合い続けることに当面なるだろうか。今、ずっと宿題にしている。
それに関して今は語らない。そして、そのことに結論が出た時、SNSとの関わりも、きっと変わっていくに違いない。

さて、聴き始めた。一聴しての感想は、ただただ圧倒である。ライナーノーツをみると、ピアノ・ソナタ第1番に至っては、偶然性すら導入されている。
第2楽章の第2部で、左手が反復音型を奏でている間、右手は、テンポとは無関係に、鐘モティーフを奏でる。まるで、ベートーヴェン以降で最も形式と内容の一致に成功したと指揮者エサ=ペッカ・サロネンが絶賛した、ルトスワフスキ交響曲で出てくる管理された偶然性、アド・リビトゥムと、技法としてはよく似ている。人間が耐えられる不協和音の限界は、アルバン・ベルクと言いながら、氏は、ポーランド楽派も、自らの血肉にしていると思った。
この解説を観た時、してやられた感があった。
自分の中で、知り尽くすまで聴きたいと思う。
演奏の質で思ったことは、ライブの方が、テンポが速くなると言うが、この方の演奏も、その典型例で会った。また、強弱のコントラストとか聴いていると、レコーディングの時は、まだ安全運転しているように感じた。おそらく、先日の東京オペラシティ公演は、みなとみらいホールで行われた世界初演の時以上に、快速爆演だったのではないだろうかと思えてくる。

佐村河内守:鎮魂のソナタ