Siberiusについて1考察

これほど、ハマるとは思いませんでした。シベリウスの楽曲は。

ここからは、色々な書籍を読んで感じたこと・考えたことと書き綴ります。

まずは、モーツアルトベートーヴェンが一流たる理由からです。
引用文献の言葉は、若干省略、修正を加えております。

モーツァルトは、音楽自身に人の心をとらえる自然で豊かな表現が備わっている。
器楽において、絶えず移り変わってゆく美的理念を音の上に集約し、時代を経ても輝きを失うことのない理想的な形の上に表現しているのである。あらゆる感情を見事に音で捉え、さらに人間の内面を深く追求しながらも、なおかつこの上なく音楽的。

ベートーヴェンの第9・ミサ・ソレムニスに見られる音楽性として、形式・内容の双方を通じて最高の姿まで高めたこと。そこに現れた音楽性は、精神的苦悩を通した強い倫理感と人間愛に支えられたもので、その結果生まれる圧倒的な説得力が均衡のとれた大形式の中に満ち溢れている。

【新版 クラシック音楽事典】

シベリウスの楽曲にも、モーツァルトに通じる軽やかさ・明朗さがあり、ハイドンに通じる形式美、ブルックナーやリヒャルト・ワーグナーに通じる金管の使い方などが響きから感じられるますが、すべてシベリウス流に洗練され、通じる面はあるものの、フォーマットにあてはまることはありません。現代音楽にも似たミニマルな音形、不協和音がありつつも、響きは、聴けば聴くほど古典派に似ている気がするのです。
交響曲第7番が単一楽章にすることができた理由は、冒頭とフィナーレ、2つのスケルツォ、緩徐楽章セクションすべてに、冒頭に出てくる2つの動機を絶えず形を変えながら用いることで、実現しているように思います。これは、作曲家別名曲解説ライブラリー 北欧の巨匠を読んで理解したことでした。交響曲第4番で、無駄な音が1つもない」と評されたシベリウスならではのことのように思います。だから、人によっては、単一の拡大されたソナタ形式と解釈されることもあり、3楽章・4楽章を有機的につなげたものと解釈されるのでしょう。


フーガ・壮大さ・大胆さはJ.S.バッハソナタ・形式と内容の統合は、ハイドンモーツァルトベートーヴェン、精神性は、J.S.バッハベートーヴェンオーケストレーションブルックナーに学ぶこと多し。シベリウスからは、構造の統一と主題操作の見事さ、凝縮ぶりに学ぶこと、多しです。


マタイ受難曲の場合は、宗教作品であるが、様々な人間的に普遍的なドラマが描かれており、その音楽の壮大さ、精緻さ、大胆さ、精神性から評価され、ロ短調ミサ曲は、バッハの生涯を通しての合唱曲と神学への関わりの総決算として評価され、ここであげられていた点を、仏法の思想から統合されたものがこれから求められるものではないでしょうかという話は、これまでもクラシックについての試案チベット仏教の儀礼音楽から、ヒーリング・ミュージックや音楽のあり方の考察で書いて参りました。

新たにインスピレーションを受けるものが増えました。そうしたことを生かして、日頃の生活に生かして参りたい。


本日、これから仏教医学書を購入し、信濃町に行き、断固勝利と腹に決め、飛翔して参ります。
そして、これから、仏教医学が現代に生かせる点を、アーユルヴェーダなどの他の伝統医学との共通点を見ながら、書いて参ります。



にほんブログ村に参加しております。「ぽちっ」とヨロシク!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ